2. 幻のきみ
                    氷高颯矢

 下鴨神社へと向かった榮と輝は、そこで奇妙な感覚を覚えた。
「親父…微かだけど鬼の気配がする。この気配…」
「お前もか?」
 伴っている碧泉のものではない気配。だが、不思議と知っているような…
「蒼軌…」
「藍華…」
 榮と輝の呟いた名前は別の名前だった。榮も驚いたが、それより驚いたのは輝の方だった。
「貴方がその名前を呼ぶ事もあるんですね?」
 碧泉が嘲笑う。
「未練も後悔も無いが、罪悪感というヤツはいつまでも拭えないものさ」
「成るほど…」
 榮は黙る。父親のした事は式鬼を裏切る行為。主には絶対の忠誠を誓う式鬼を、立場を利用して封印した。
そして、今から十年前、封印された藍華が狂いを生じて、幼かった現在の主・実行を操り暴走した。その騒ぎを静めたのは『赤家』の当主・彩。以来、『青家』は以前にも増して『赤家』に頭が上がらなくなった。
「私には、違う気配が感じられる。それも、遠い昔の…」
 碧泉の呟きは風が木の葉を打つ音によって消された。

 巽はさっきまで学校の友人たちと一緒に神社にいたはずだった。それがどうだろう?気が付くと霧に包まれた深い森の中だった。
「ここは…どこ?」
 周りには誰もいない。だが、何故だろう?この空間は安心できる。
(そうだ…碧泉。碧泉、《武器化》したまま…)
 呼ぼうとした相手は今は応えてくれない。ようやく、巽は独りを自覚した。
(どうしよう…集合時間に間に合わない…)
 そんな事をぼんやりと考えていた。巽は独りが苦痛ではなかった。幼い時に父親を事故で失って以来、父親の式鬼・碧泉と共に暮らしている。式鬼である碧泉は人間らしさは余りなく、その影響で巽も感情面に問題がある。それが、こういう状況に陥った時に危機感として働かないのだ。
(玲奈、怒ってるかな…?)

 不可思議な感覚の強くなる方へと榮たちは進んでいった。
「親父、誰かいる…」
「――皆人…」
 その言葉は碧泉の口から漏れた。
「碧泉、お前…お前がそれを言うのか?」
 『皆人』という名前、それは榮にも覚えのある名前だった。
 碧河皆人――『青家』の前当主であり、他ならぬ巽の父親である。
 そこに立っていたのは碧河皆人、そのものだった。細身で柔和な顔立ちの青年。亡くなった年齢・二十六歳のままの姿。
「逢いたかったよ、碧泉。輝さん」
「皆人、お前…」
 動揺する輝の姿を榮は初めて見た。碧泉は更に表情がなくなっている。榮は不安感に襲われ始めた。
「僕と共に、ずっと一緒に生きよう?」
 肩に置こうとした手を輝は払いのけた。
「…どうして?」
「皆人は死んだ。皆人の姿を取っているお前は何者なんだ?」
 皆人はふわりと微笑った。
「僕は皆人だよ。君が望んだから、こうして逢いに来たんだ…」
 碧泉は固まってしまっている。そして、輝も…。
「皆人さんは死んだんだ!碧泉、今の主は巽ちゃんだ!それは単なる幻!俺が全部フッ飛ばしてやる!」
 榮が霊力を高める。
「消えろ〜!」
 榮がそれを放とうとした瞬間、
「やめて…」
 目の前に現れたのは巽だった。
「皆人の姿から、巽に変わった!そうか、これは幻…精神に直接リンクして造った記憶の再現だ!」
「それなら何故私まで…?」
 碧泉が不安になるのも解らなくはない。彼は式鬼として生きる鬼だ。実体を失い、その象徴である角を折って造られた小太刀にその魂を宿らせている。しかし、碧泉は、自身は意思を持たない忠実な機械のような存在になるべきだと信じてきた。そして、そうであった…。少なくとも、十数年前までは――。
「碧泉、それはお前の心が死んでないって証拠だ!《瞬炎》!」
 榮の言葉に反応して碧泉が動く。碧色の冷たい炎が碧泉の指先から生み出され、放たれる!
「《砕破》!」
 輝も同時に攻撃を放つ。霧がその力を覆い隠そうと立ち込めるが、榮の霊力を元に繰り出される碧泉の攻撃は容赦なくその霧の膜を破壊し、輝の放った衝撃波はその隙間を縫って貫く。
「ギャァァァ!」
 霧と幻を操る妖怪は断末魔の声をあげ、消えうせた。
「跡形も残ってない。親父、かなり本気?」
「皆人の姿で俺を惑わした罪だ。当然だ!」
 榮はため息をつく。父親というものは普通もっと尊敬できるような存在ではなかったか?
「子供っぽいのは家系かな…?」
「お前の未来の姿だな…」
 キッパリと碧泉が言い放つ。
「うっ…」
 徐々に霧が晴れていく。すると、森は元の穏やかで神聖な場所に戻った。

「遠い日の幻・3」へ続く。
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